ほい
自慢の箱型軽自動車で滝野川の交差点を右折したとき、後にぴたっとついていた赤いレクサスに思いっきり左から抜かれた理事長です。
左から抜いて行くヤツは危険だし、左から抜かれるのはコワい。
最近の常磐道あおり事件で白SUVのBMWがアレだねというイメージが定着してしまった。
テニス仲間で件の白BMWのSUVに乗ってる人、何人かいますよね。もはやメジャーなアルファードぐらいな感じなんだろうか。
やっぱりエクストレイルかなぁ。10年前の箱型の時に買い替えたかった車だけど、今だいぶ変わりましたもんね。
箱型好きは昔からだけど、通勤や自転車がわりは今の軽でいいとしても、新しい車、レクサスやめることにした。
前からあんなに言ってたのに
。・°°・(>_<)・°°・。
次買うとしたら最後の車になると思うんですよ。
うーむ
年齢的には最後のいっこまえ?
もう、あんまり遠出しないだろうしなー
通勤でも1年で1万キロ行かないし
VOLVO’S JOURNEY
村上龍の私とボルボpresented by pen
#3 「ボルボ・テニス・日常」
November 15, 2018
村上 龍 Ryu Murakami
作家
●1952年、長崎県生まれ。『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞。『コインロッカー・ベイビーズ』『半島を出よ』『オールド・テロリスト』など多数の著作がある。『トパーズ』『KYOKO』は映画化され、監督も務めた。最新作は『すべての男は消耗品である。最終巻』。メールマガジン『JMM』を主宰、『カンブリア宮殿』(テレビ東京)にメインインタビュアーとして出演中。
わたしの場合、「小説を書くこと」以外、だいたい全部、「日常」に収まってしまう気がする。作家なのに、小説を書くことが「非日常」というのは、理解しづらいかもしれない。だが、デビュー作以来、今もわたしにとっては小説を書くという行為は極めて特別なことで、あまり楽しい時間ではないが、スリリングで、他では絶対に得られない充実感がある。理由の一つは、脳がフル回転するということかもしれない。
少し前まで、日常の象徴はテニスだった。テニスをはじめたのは、二十代後半、都内から「たまプラーザ」に引っ越してからだ。あたりをボルボで走ってみると、やたらとテニスコートが多かった。さっそく、あるクラブに入会したが、テニスほど初心者に残酷なスポーツはない。ある程度の技術を身につけないとまったく面白くないという意味ではゴルフと似ているが、ゴルフは打ち放しの練習場があり、ごく稀に芯をくったりすると爽快感がある。テニスの初心者には爽快感がない。
二十七歳のとき、『コインロッカー・ベイビーズ』という書き下ろし小説を書きはじめた。集中が必要だろうと、版元の出版社が草津にある山荘を提供してくれた。草津の街からも少し離れた場所にあり、管理人のおばさんによると、多くの作家の先生方が来たが、たいてい「ここは寂しすぎる」と二、三泊でお帰りになった、ということだった。わたしは、その山荘に二十九泊して小説を書き続け、「記録です」とおばさんに言われた。
温泉に入って、食事をして、執筆して、寝る、という毎日だったが、気分転換にテニスコートに行き、ひたすらサービスの練習をした。一時間ほど打ち続けるのだが、初心者に変わりはなかったので、まともなサービスは百回に一回もなかった。それでも、毎日サービスを打った。
「ボルボに乗ってテニスに行くこと」は、そのあと大いなる楽しみにとなるわけだが、そのイントロは、草津で築かれたのだった。いろいろなテニスクラブに遠征し、当時ボルボのトランクには常に数本のラケットが収まっていた。テニスは日常と化していた。かなり上達したが、腰を少し痛めてから、ほとんどやらなくなり、スポーツは水泳がメインになった。
だが、今のボルボにも、二本、ラケットがちゃんとトランクに収まっている。ボルボのトランクに、テニスラケットがあると、不思議なことに心がとても落ち着く。
白いボルボでテニスに来る人はイケノヤでも所沢でも、本当によく見かける。
それぐらいしか楽しみがないもんな。
うちの会社、定年が68才に延長になるそうだ。
みんな定年するからおまえが課長をやれという話になっているが、部長と言われても社長と言われてもやろうと思う今日このごろ。
エアケイに話すと苦笑いしていたが、
マンネリ化とはこのことだな。
世の中でひとがやってる仕事なんて、17時上がりでテニスに行けるなら、薄給だろうが何だってできると思う。