少にして学べば、壮にして為すことあり。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず。
壮年になってからも学問に励めば、老年になっても頭や気力が衰えることはない。
老年になってからも学問に励めば、頭はぼけないし、朽ち果てたような死に方をしなくて済む。
(老年になってからも学問に励めば、より見識が高くなり、周りからの尊敬も得て、死んでもその名が朽ちることはなくなる)
こっちは
りじちょーゆかりの地の景勝
これは何?
これが何で、ここがどこだかわかった人すごい
夏が来ーれば思い出すーーーーーーー、というわけじゃないですよ。
知る人ぞ知る、りじちょーのおじいちゃんが美術の先生じゃないですか
彫刻家です
日本に歴史を刻んでいるわけです
トップスピンで言うところの、えーくんのお父様どころの次元ではない
だから親しみをこめて、えーパパとお呼びさせていただいているわけだが
そうするだけの根拠がある
時にアートがサイエンスを超えることは、誰もが知るところの人知を超えた生命の神秘だからだ
ぜんっっっっっぶを数学にして、物理学で証明したいのが人間の性じゃないですか
けど
どう頑張っても読めないのが生命の神秘である
人類じゃないですよ
生命です
そ・ん・な・わ・け・で
今日の主役は、またもこの男
HIDEファンの皆様お待たせしましたー
さいきん出てこないね、っと言われてましたが、
さいきんのHIDEについて、理事長てきには、苦笑いするしかない小ネタがある。
ヌマタクンがHIDEのことを、「ヨコヤマクン。」と、呼んでいるのである。
なぜHIDEがHIDEと呼ばれる羽目に陥ったか、というトップスピンの歴史について語らないわけにはいかない。
関西の大学出身というだけで東京のテニスバカに迫害されているヌマタクンはHIDEと同学年で、お互い主将だったらしい
エアケイが聞いてきたところによると、
ヌマタクンがてっぺんに近いところの主将で、HIDEが7部に近いところの主将だったそうだ
HIDEに主将やらせるところが、所属チームの自由さを表しているわけだが、もう目指すところは上しかないというか、自分の下はないぐらいのリーグでね
1部と7部ぐらいのレベルの差があるわけですよ
成績が良くて苦しみ抜いてきたヌマタクンに対して、自分より下がいない勢いで楽しみ続けてきたHIDE
が
縁もゆかりもなかった当時は想像もしていなかった東京の足立トップスピンで再会する
が
そこを微笑ましいとはいかないのが、トップスピンの、というか、理事長の難しいところだ
ヨコヤマって言うな
トップスピンではヨコヤマ禁止
なんでかっていうと、りじちょーのクソ上司がヨコヤマだったからだ
はー・・・・・
今となれば懐かしい思い出です
もう、どうでもいいけどね。
ネタとしては↓
このHIDEが、毎トーに出る
記念すべき有明でやらない毎トーに、エアケイと部活くんと一緒に参加することになった
HIDEは、本当にかわいい
社会人のテニスは、楽しんでいるやつの勝ちだ
そう思わせてくれるHIDEはグレイトだ
おっさんになってからのことは、おっさんになってから考えます
というようなマイペースさが素晴らしいと思う
ほんとほんと
理事長なんかも新卒のころ経験あるわけですよ
仕事中ずっとタバコ吸って退勤後に浴びるようにスコッチ飲んでディスコ行って広尾の銭湯で風呂入ってからデニーズで時間つぶしてモーニング出社
そんな生活してたら脳梗塞になるよー、と、おっさんから注意されるわけじゃないですか
品行方正? な、大人がなんて言ってても
じぶん20代
そんなの関係ねえ!
と、心の底から思っていました
徹マンのやりすぎで奥様に出て行かれて、お嬢様とお嬢様の彼氏と4人暮らしな「麻雀さえ覚えなければ自分の人生は違っていた。」と言ってるような佐世保出身の補佐と仲が良かったです
あー
もう、定年してるけど、どうしてるんだろうなー
佐世保海軍のシビリアンや隊員や村上龍さんの実家と仲が良くて、自分の学生時代に安田講堂で色々あって東京大学の受験がなかったという歴史に残る学年の人だった
東京大学に行くには浪人するしかなかったから同級生は浪人するのが多かったんだけど、さっさと上京して遊びたかったから別の大学に行った、というクチだった
理事長と気が合うタイプだよね
いずれにせよ
今年も夏が来る
ワクワク☆彡