これはニュースだろうか。マーリンズのイチローは偉業を成し遂げたのだろうか。終身雇用とは何を意味するのか。
イチローがいつか、「やってみて“ダメだ”とわかったことと、はじめから“ダメだ”と言われたことは、違います。」と語っていたことが印象に残っている。背景は忘れてしまった。成功者の言葉しか世間には残らないから、イチローのような成功者の言葉として格言と言われたり語り継がれるかも知れないが、イチローじゃなくても、こんなことは誰でも考える。
今年トップスピンのメンバーの一人が、とても倍率の高い試験に挑戦をしていて、それは人生の岐路に立つような類のもので、長い間ずっと試験勉強をしていて、その間、チームの活動に参加していて、結果待ちの間に試合に出たりしていた。
よく学び、よく遊べ。
彼は試験に合格し、トップスピンコレクションのラケットを使って次の選手権に参加する予定だ。
努力して結果が出ると自信になる。努力せず結果が出ると傲慢になる。努力せず結果も出ないと後悔が残る。努力して結果が出ないとしても、経験が残る。類は友を呼ぶというが、チームのメンバーは努力が癖になっている人ばかりで、その努力のベクトルがどこに向かっていても(たとえ間違ったように見える方向に向かっていても)、他人の否定的な言動にぶれたりしないところが似ている。
そんな否定的な言動を繰り返す人の周りには、いつしか誰もいなくなった。否定を否定で返し始めると長引く裁判と同じで、激しく責任を追及することが最終的な目的になる。論より証拠というけれど、テニスというスポーツはゲームだから、試合の結果で決着がつくわけではない。点取り虫は、これだからいやだ。「0-6」で負けたことがない人は試合に出たことがない人だけであり、先日の足立区チャレンジシングルス男子決勝のスコアは「6-0」だった。
私がシングルスの試合に初めて参加したとき1ゲームも取れず気持が精一杯だったとき、負けている私に対して声援をもらったのだけれど、経験者Aは「それがテニスだ! 」と言い、経験者Bは「1ゲームぐらい取れるように頑張って・・・」と言い、経験者Cは「こんな感じでボレー決めましょう」と言った。
それを受けて経験者Dが苦笑いし「雨が強くなってきましたね」と言い、経験者Eは「雨雲レーダー確認します」と言い、経験者Aは「台風きてるんだろ」と言い、経験者Bはオロオロし、経験者Cは「1という数字をスコアボードに残しましょう」と言った。
それを受けて経験者Dが苦笑いし、経験者Aがオロオロし、経験者Bがコートの様子を見に行き、経験者Eは「斜めに降ってますけど?」と言い、私は、「もう1回だけ試合やりたい」と言い、経験者Aは「それがテニスだ! 」と言った。
テニスを始めてつくづく思うのだけれど、なぜかわからない不愉快さを感じることが、とても多い。この1年は、テニスを始めたばかりに不愉快なことだらけだった。何も好き好んで休日に不愉快な思いをすることはない。かつてテニスで良い成績をおさめた経験者らは過去を生きているが、私は未来を生きている。かなり不愉快な思いもするが、日々、自分が成長しているのがわかるのでテニスを始めて良かったと思っている。
●人生における大きな喜びは、「君にはできない。」と世間が言うことをやってのけることである。(バジョット)
私の試合に偶然居合わせた経験者5人の態度は、その人柄をよく表していたと思う。参加することに意義があるとか、そういう大それた話ではない。幼い子供が一生懸命つかまり立ちをしようとしたり、外国人がカタコトの日本語で話しかけてきたりする程度のことである。どこかでいつも自分に照らし、大人は物事の判断をする。
経験者Cとは、それ以来、疎遠になってしまった。彼は私がテニスを始めてから、「君にはできない。」と最初から最後まで言っていたが、その心中は本人にしかわからない。私は大会に参加したが、彼は参加しなかったし、する意思もない。自分を正当化するために、人は沢山の言い訳を持っている。「シングルスは疲れる。」という言い訳をしながら負けていく自分に勝てなくなっている彼が何を言っても、もう誰も耳を貸さないだろう。彼は過去を生きているが私たちは未来を生きている。