そのほうが、うまくいく。
・「実るほど頭を垂れる稲穂かな」これも、こどものときにくり返し聞いたことばだ。晩夏から秋の田んぼで、しっかりおじぎしている稲を見ては、このことばを思い出している。だって、つまり、ほんとにそうなんだもんね。
人は学問や徳が深まるにつれ、かえって謙虚になるものだということ。稲は実が熟すにつれて穂が垂れ下がることから。(『新明解故事ことわざ辞典』より)
稲の先がたくさんの実の重みで垂れるのは、そうしようと考えてのことではない。しかし、このことわざを教えられた人間の場合は、自然に頭が下がるということはないので、「そういうふうにしていよう」と決めるのだと思う。頭が垂れるように、つまり謙虚であろうとして日頃のふるまいを律しているのだという気がする。ほんとうは、学問や徳が深まったからといって、ふんぞり返ったり威張ったりすることでもないし、ことさらに謙虚になる必要だってない。ふつうにしていられたら、それでいいのだと思う。しかし、このことわざでは、平らのままではなく、頭を下げているようにということを教えているのだ。
「人より低いものとして在りなさい」というわけだ。どうしてか?
答えは「そのほうが、うまく行くから」であろう。「大事なのは理由じゃない、方法だ」ということだ。実るほど、頭を下げているほうが、みんなによろしいと、そういうことを伝えているように思う。自然にしている以上に謙虚にしていて、ちょうどいい。そのほうが余計に人のこころを乱さないし、傷つけない。
長い間に、たくさんの立派な人にも会ってきた。その多くの人たちが、驚くほど謙虚であった。「そのほうがうまく行く」ことを実践してきたのだろう。それをできてきたから、「りっぱな人」になっていた、ということもあるのだろうなぁ。※芸術家は除く
10年近く前に理研に勤務していたとき、「稲穂」さんという名前の女性の研究者がいた。その名のとおり、親御さんが思いを込めて名付けたのだそうだった。本人いわく、「お前はいつになったら実るんだ? 」と、名前負けを自虐風自慢にしていたが、てんでダメ。
えらくなりたいから○○、っていう先取りは、やっぱり裏目にでる。
最近、トップスピンの拠点を埼玉に移した。
元々そうしよう(運動するなら埼玉県大会から勝ち上がること)という考えでいて、試合は全て埼玉でやっている。
サークル活動を都内だけでやっていたので、じょじょに埼玉方面にスライドして行くことから初めて、仲間づくりを埼玉に集中するつもりである。
最新アプリでは現在地点の2km〜10kmにいるプレイヤーを探すことができるし、練習相手を探している人とマッチングができる手筈だ。
と言っても、それはドッグスポーツの話。※山中湖で合宿や、戸田公園でレースがある。
人間のは、なし٩( ᐛ )و
テニスプレイヤー練習相手探しのマッチングアプリ、開発中。
カラオケ行きたい
テニス行きたい
試合行きたい
そんなこんな考えてる。
さわやかな春の4月。
今年はトップスピンがなくてさびしいな。