the middle of difficulty lies opportunity.
- Albert Einstein (アインシュタイン) -
困難の中に、機会がある。
あんた、よく風邪ひくから休むとき休むと決めて月末に向けて調整しないと。
と、となりのチームの次長(つまり他人)から目標を立てられて、笑えた。
確かに風邪ひいてるんだけど、昨日なんかテニスで汗かいて熱、下がりましたからね。
昼休みがんがんテニスの練習に出てること知らないんだよね。
月末、年末、いや、毎週末に向けて調整してるの本当なんだけど私は仕事するために体調の管理してるわけじゃないから。
青春時代に週末の遊びを決めるのに、どんな約束のやり方してたか、思い出せません。
たまに理事長に連絡してくれる人の中で、ギリギリで参加機会を逸する人がいる。
調整がうまくいかなかったり、なんとなく熱が冷めちゃったり、いろんなサークルに問い合わせてたから忘れちゃった、とか、いろいろ、あると思う。
全員に返事は書けないから、これってタイミングなのかなぁと思う。
チームでは、熱心に練習してるメンバーの中でも、距離的に通うのは厳しくないか? と、思っていた人のほうが参加頻度が高くて、テニスへの関わり方や向き合う姿勢を教わることが多い。
「ダイヤモンドの原石がいるよ。」
神和住純がボレーの解説で、エアテニスからボレーの実践をして見せてくれた。
理事長は、いっぱいいっぱいだったから、よく見てなかったし、話も聞いてなかった。
エアケイはボレーが他の人と違ってて、力の入る場所と打ち方について他の人と違ってることで上達したい気持ちが強くて、しっかりデモンストレーションを見ていたようである。
トアルソンのスプーンを使ってボレーをする神和住純先生。
理事長とボレーのフォームがそっくりだ。面の角度まで。
5月の初めに体育会くんの球出しをボレーする理事長。
この日も風邪をひいていて、翌々日のダブルスの試合のため少しだけボレーを前日練習した。
ビデオには、「フォアボレーのほうが上手いですね。」と、励ましてくれる体育会くんの音声が残っていた。
この7ヶ月後に神和住純先生からボレーの打ち方を直伝されることになるとは、当時、誰が想像しただろうか。
困難の中に機会がある、と、アインシュタインが言っていた。
りっぱなボレーヤーである体育会くんを追い越す日も近いのかもしれない。
エアケイは、
「純さんがボレーを打つとき、こうやって、こうやって、こう、向いて、こう! してた(^L^)
と、見たまま真似してる。
うれしそう。
ボレーよりフォアのチョウシに振り回されていたけど、エアケイは元々はトップスピン2016ではボレーとスマッシュの基本練習に力を入れたいと言ってたから、最後の最後にヒントが得られて、良かったと思う。
神和住純先生のボレーの打ち方は、自分の今までのボレーのイメージと違っていたみたいだ。打ち方も、向きも、フォームも。
理事長は力がないから、グリップを薄くしたら、こんなフォームでしかボレーができなくなった。
ラケットに当たればいいや、ぐらいで、試合では男子のボールを使ってカウンター取れてもナイストライのほうが多かったんだけど。
突き出す感じを知ると、急にボレーが面白くなった。
困難の中に機会がある。
トアルソンのスプーンを使って厚いグリップを試してみた理事長。
トップスピン2016で使うために買ったが、お蔵入りしていたトアルソンのスプーン310g。
しなり具合とトップライトが打ちやすくて気に入り、何度も試打して購入した。
でも、ボールを飛ばせなかったから、ライトなスペックのラケットをガンガン振り回すことから始めたほうがいいかも、というアドバイスに納得して、バボラのピュアドラライトに変更したが、これはこれで、良かったと思っている。
今はもうノンプレでもスピンかけて飛ばせるようになったので、2017年からはスプーン復活できる。
神和住純先生のストロークもボレーも、魔法のように伸びていた。
ストロークの打ち方もフォームがキレイと褒められたから、理事長の悩みやストレスは、解消した。
困難の中に機会がある。
テニスとは直接、関係ないんだけど、今日、職場で出た話題によると理事長は197X年生まれだから、氷河期世代のスタートメンバーなんだって。
初期氷河期世代。
政治的には急に大きな変化があって、不可抗力で夢を断たれたり、道を閉ざされた最初の年なんだそうだ。
確かに本当なんだけど、そんな苦しい時代の中でも私はライバルを蹴落とし数々の試験に合格したし、青春時代に叶えたい夢の多くは叶ったと思う。
エアケイは、もう少し学年が上だから、氷河期世代のスタメンである理事長のガッツを理解できない。
困難の中に機会がある。
期末年末年度末で、オシゴト的にもイベント的にも周りは忙しそうで、ゆとり世代の若手がプライベート重視で忘年会なんかの参加率が低いことをベテランが嘆いていた。
仕事柄、私の職場のチームには若手がいないから、ベテランは平気でそういう話をしているが、私が氷河期世代スタメンとして他のチームの若手ゆとり世代やらさとり世代からリスペクトされていることをベテランは知らない。
つまり、私より年下の人は全員、「急にキタ」大きな困難に立ち向かったりするスタメンの失敗例や成功例を参考にしたりして、なんとかやってきた人たちだ。
スタメンとしては先輩がいないから、自分で考えるしかない。
困難の中に機会がある。
私の10年下ぐらいになると、自動車メーカーや銀行員の友人が言っていたのは、学力は下がるし自分の好きなことしかやらないし、社交性がない。
どういう集まりで聞いたかというと、10年前の同窓会だった。
どのクチが言うねん、と、いうようなタイプの人たちが、言っていた。
困難の中に機会がある。
私自身が感じているのは、氷河期世代には面倒くさい人が多い、ということ。
とにかく、めちゃくちゃ努力してた人でも普通の人の10倍以上じゃないのか、といえるほどの挫折体験を強いられているので、卑屈なやつが多い。
めちゃくちゃ努力してても挫折体験を強いられるんだから、そんなに努力してない人が自力で何かを手に入れることはできない。
とりあえず時代のせいにしているが、どのクチが言うねん、と、いうようなタイプのやつが、「うちら氷河期で大変だった。」という言葉を隠れ蓑にしている面倒くさい人が多い。
困難の中に機会がある。
でもさぁ、自分でも知らないことって本当に多いね。
氷河期世代スタメンの10コ上ぐらいには「新人類」って言われてた人たちがいて、「不思議大好き」みたいな感じなんだけど、あの人たちも面倒くさい。
理事長は青春時代からスポーツや音楽をやってたから世代や人種を超えて人付き合いすることが多くて、アートに寄ってる人たちの中には新人類いましたよ。アカデミックは自信ないし気概もないしラクしたいしオシャレしたいし、ってな感じで私費で海外に行ったり広告やマスコミに行っちゃうタイプ。今は55歳ぐらいになってると思う。迷走してるね。好きなことしてるのか、時代に乗せられてるのか、成り行きなんだろうね。流されちゃったら、あとが大変そうだけど。
困難の中に機会がある。
理事長はゆとり世代ではないしさとり世代でもないどころか氷河期世代スタメンという立派な看板を背負っているが、忘年会は全て欠席、飲み会ぜんぶ欠席、「あいつは来ない。」という地位を確立するまで粘り、テニスを始めて2年間、職場の飲み会に出席したのは4回のみ。「テニスの練習がある。」と大っぴらに言ってあるし残業も18時半で切り上げるしプライベートは重視するし、プライベートを軽視するやつと友達になりたくない。
2年も経つと、周りも諦めていて、「あいつは時間外は来ない。」と、認知されるまで粘った自分は、若手から人気がある。意外と若手は集団に馴染もうとしていて、目立つ行動は取らない。
時間外に行かない代わりに、組合がやってるような早朝の地域の清掃ボランティアのように、明確に義務だけど誰もやりたがらないやつに自ら率先して手を挙げて、飲み会に出れない代わりだ、なんつって、ボランティア出席率100%である。そうして組織に恩を押し売りしている。飲み会に行きたくないやつよりボランティアに行きたくないやつのほうが圧倒的に多い。テニスも含めて地域の活動に熱心だという印象を押し売りしている。
これも一手。ボランティア出席率100%ともなると自分と似たような考えのやつが他にもいることに気づかされる。自分と似たような考えのやつに出会っても、お互いに気づかないふりをするのがエチケット。
私は誰とでも仲良くなるけど、誰とも仲良くなりたくない。
テニスの練習が忙しいからさ。
困難の中に機会がある。
私は確かに良い時代に良い思いをしてないかも知れないけど、50円で神和住純から直々にボレーの技術を手取り足取り直伝されるという、ものすごくいい思いをしている。
「いいな! 純さんから直々にボレー教えてもらえるなんて、すごいよ!! 神和住純さんになんか、なかなか教えてもらえないよ!! 」
どれだけの価値があるのだろう。
お金も、払ってない。
トップスピンの練習の日に神和住純と法政大テニス部が舎人公園でイベントやってたから、エアケイがみんなのぶん申し込んで、大勢でわぁわぁテニスして楽しんだ。
たんなる偶然。
たんなるノリ。
理事長は、成り行き任せに生きている。
神和住純から、いいキャラしてると言われてしまうのも、成り行き。
もともと成り行き任せで始めたテニスも、成り行きで努力して、成り行きで続けているが、楽しいことが、たくさんある。
困難の中に、機会がある。